ヨーガ行者の成瀬雅春先生の動画を見ていて、また1つ気づかせて頂きました。
正確には、自転車に乗りながら耳で聞いていたのですが、映像が無い方が内側に入っていけることも良くありますよね。
https://www.youtube.com/watch?v=XbEzlTFv2fY
「非常識なことってあんまりやっちゃいけないわけですよね?私たちはね?
だけど超常識はなにやってもいいじゃないですか、
常識を踏まえて、なにか常識より違うものをやること自体は問題ないじゃないですか。」
一部分だけ抜粋しましたが、
動画ではここを論点にお話されているわけではありませんので
少し問題はありそうですが…💦
まぁ全体像をイメージしながら言語化していくのは今回の内容ではなくなりますし、もうそのまま書き進めます。すみません。
自分の “超” の捉え方の誤りに気づきました。
無意識に「元の言葉とは別のもの」として捉えていたのですが、
超越したからといって、その要素がなくなるわけではないので、それは違っていましたね。
特に今回話題に上げられている “常識” については
たくさんの角度からアプローチできる言葉になっているので
なかなか使い勝手が悪い言葉だなと思っていました(笑)
例えば、有名なアインシュタインの格言で
「常識とは、18歳までに身につけた偏見の塊である」
といったものがありますよね。
日常的な話し言葉で使われる「常識」の中には
・平均
・一般
・大多数側の意見
・話し手の主観
などの要素を含んでいるかと思います。
危ないのは、
“主観であり、平均であり、大多数側の意見を「常識」” と言いきってしまい逸脱しないようにすることですよね。
それはアブナイです。
コーチングを学び実践している身としてはアブナイです。
じゃあ、それ以外はすべて「非常識」に分類されてしまうのかというと…
そうじゃなかったようでした。
“超”常識者であれば、常識を踏まえて超越してもいいということがわかりました。
これはとても有難い気付きです。
なぜなら、常識と “超常識” の違いは、
当人の中ではただの “自分ルール” として設定されている倫理観だからです。
この差は大きいですね。
有難い気付きでした。